Jollyの100の挑戦~Live a life you will remember~

世界的DJ・AVICIIに魅了されたJollyが、人生を楽しく刺激的に過ごすため100個の目標・挑戦を立て、それにチャレンジするブログです。

あの日から10年・・・その2

こんにちは、JOLLY【ジョリー】です。

今日は、前回の続きになりボランティア活動を始めるところからになります。

f:id:JOLLY:20210313205801j:plain

jolly-100challenge.hatenablog.jp

 まだ、読んでない方は是非こちらから読んで下さい。

 

電話をもらった翌日幼馴染と町の公民館へ行き早速活動を始めました。

午前中は全国各地から届けられた服や食料、飲料水などの仕分け作業です。次々と届く物資をジャンルごとに分け、服はメンズ、レディース、子供物と細かく分けます。

 

お昼は町から配布される冷えたおにぎりを一人2個食べ休みました。その時県外からボランティアで来ていた方に「君たちはまだ若いのだからもっと食べなさい」と言い自分のおにぎりを食べずにもらったのを今でも覚えてます。

 

午後からは全国から届く物資を自衛隊の方々とトラックから公民館へ搬入する作業を行います。これは想像している以上に数が多く中には重い物もあり大変でしたが、みんなで協力し町の為にやっていると思いながら作業すると疲れていても自然に元気になりました。

 このような作業を一週間ほどやり私は違うボランティアの方へ行きました。

f:id:JOLLY:20210313210143j:plain

次に行ったボランティア活動は町にある施設の復旧作業です。その施設は私が小さい頃から大好きでよく通っていた施設で思入れが強く、館長さんから復旧させるためにボランティアを募集しているのを聞き参加しました。

 

内容は津波の被災にあった館内の泥の排出津波によって運ばれてきた瓦礫の撤去です。

室内は停電しており、所々に発電機を設置し明かりを灯しそこで作業をする感じになります。と言っても館内は暗く泥臭くてとてもじゃないけど思うよりも作業がしずらかったのを覚えてます。

そこでは約3週間活動しました。その間たくさんの方と出会い色々話しを聞き、自分が行ったボランティア活動は間違いなかったと思い、人としても大きく成長させれたと思います。

 

f:id:JOLLY:20210313205635j:plain

その後は約1か月半遅れで学校が再開し私は登校し、親は別の場所にて同業者の支援や地元の方の協力で仕事を再開しました。

そして家は、震災4ヶ月後に直り避難所での生活も終えました。

 

以上が私が経験した東日本大震災です。